「君の旅路に桜が笑う」 そして、サブタイトルは「will return」
タイトルが長い!笑 「もしドラ」という小説並みに長くなりましたね。よく考えた結果このタイトルになりました。まぁ要するにいろいろあったボート人生だったのです。そして、後編スタートです!
皆大人になったと感じる比較写真ですね。最初とほぼ最後の同期の集合写真です。
最初に自己紹介しておきますが、神戸産まれ神戸育ち、小学生の頃はキャナルローイングクラブ所属、中学は神戸ボートクラブ、高校は福井県若狭東高校、大学は日本体育大学です。ボート歴は13年目で、長所は地道にコツコツやりきること、趣味は映画観賞と温泉巡りです。基本的にガツガツせず、のんびり生きていくことを心がけています!
タイトルを回収できるか謎ですが、ずっと前から漕手を引退したらこれにしようと決めていました。時期的には、桜よりも枚散る粉吹雪とかが良いかも知れませんが、卒業シーズンといえば(ここでの卒業は選手としての卒業)やっぱし、桜なのでこのタイトルです。
基本的に卒業する4年生は大会後に一言づつ言って終わるチームが多いと思います。日体大も毎年のようにそうでした。卒業された先輩方の言葉は熱く様々な思い出が詰まっている一言でした。その一言を言う番がとうとう私達にもやってきました。大会の始まる半年以上前からあれ言おう、これ言おうって決めていましたが、いざ言う番になると感極まって言葉が詰まったり、同じ日本語を繰り返してたり意味分からん事を言ってるなと、言いながら思いました。なので、今回のブログは、その言いたかったことを文字でまとめたいと思います。私の13年間の思い出や感想を気長にお付き合いください。13年は多いんじゃ。。。
入学して1年目の同じ部屋になった先輩方です。真ん中の捕らわれた宇宙人みたいなのが私です。
全日本新人後の写真です!
「君の旅路に桜が笑う」
まず始めに、常日頃から指導し支えてくださった皆様に感謝します。私一人の力では到底13年間ボートを続けることも、様々な時や場所での出会いも、ましてや中学高校で日本一を取ることも有り得なかったでしょう。本当にありがとうございました。
思い返せば、私のボート人生は1枚のチラシから始まりました。当時小学4年生だった私は、勉強もスポーツも出来ず、友達付き合いも下手くそで、何の取り柄もありませんでした。そんな私のもとに学校で配られた「ボートしませんか」のチラシを見てボート競技と出会いました。ボートの存在も知らなく見たことも無く(池で漕ぐような船やカヌー、ヨットも見たことが当時はありませんでした。)、身内や友達がしてたわけでもなく、誰かに誘われたわけでもありません。なのに学校で配られる何十枚という中の、「ボートしませんか?」のチラシをたまたま見て、たまたま行ったのが始まりです。このチラシはもちろん私の学校の全ての人に配られましたし、なんなら神戸市内の全ての小学校に配ったらしいです。(記憶が曖昧ですが、10人ちょっとだけしか集まらなかった気がします。)ほとんど参加しないような体験会に行った私は、今と変わらず相当な変わり者(関西風でいうとヘンコ)だったのでしょう。
ボートを続けることになった私はその後、なんやかんやあって神戸ボートクラブに所属することになります。鬼のような監督がいることも知らずに。。。軍隊みたいな厳しさは今でも覚えているし、今でも恐怖ですね。よくやったと思います。そんな鬼のような監督のもとの3年間でしたが、今となっては笑い話に出来る良い思い出も沢山あります。
高校は沢山の方の影のサポートとツテで、福井県若狭東高校に行きました。私一人じゃ非力で何も出来ないこと分かり、迷惑ばかりかけてた気がします。ただ、高校で初めて部活の仲間ができて、仲間と練習したりバカなことしたりするのが楽しかったです。言葉じゃ表すことのできない濃い3年間を仲間や恩師と作り上げました。
そして、紆余曲折しながらも日本体育大学に入学することになります。大学では、いろいろありすぎて若干燃え尽き症候群になってたように思えます。練習の自由度は高校に比べるとかなり低く窮屈でしたが、生活面では自由気ままにのんびり気楽に出来たのでよかったです。また、同期をはじめとする先輩後輩に恵まれスゲー楽しかったです。
そんなこんなで私のボート人生13年が終わりを迎えました。いろんな場所や時でいい人に恵まれた13年間でした。本当にありがとうございました!
最後になりますが、この「君の旅路に桜が笑う」は曲の題です。私の支えになり「勝たんまでも負けん」気持ちでここまでこれた自身の応援歌です。
これまでのボート人生を誇りにもって、これからの私の旅路もつまずくことを恐れず一歩一歩足跡を残して歩んでいきます。
本当にありがとうございました!!!
上平合宿の時の写真です。私がいないって。なぜなら、病気になって入院中だったからです。上平に一回も行かないで大学生活終えました。
「尿管結石」
さて皆様、「尿管結石」ってご存じでしょうか。このタイトルの結論から申し上げますと、中3から毎年のように石詰まってたけど自然に流れるという治癒しかしてこなかった結果大学一年生の時に全身麻酔と治療時間6時間にもおよぶ腹窮境手術する羽目になった話です。
尿管結石とは尿の通り道である腎臓尿管膀胱尿道に結石ができることです。痛みを伴う病気はいろいろありますが、胆石、すい炎、尿管結石の痛みは、「3大激痛」といわれ、中でも尿管結石は昔から、「七転八倒の苦しみ」と表現されるほどです。おかんが言うには、子供が産まれるぐらい痛いそうです。というか痛かったです。さらに、石が尿管を傷つけることによって血尿が定期的に出るし、痛すぎて吐けるし、腎盂腎炎になって40度越える熱が連日続くわで、ある意味死を覚悟しました。
石ができてしまう要因は様々ですが、自分の中での結論は「ボートでのストレス」でしょう。勝っても怒られ、負けたら当然怒られて、やりたくもない練習をさせられて、真面目にやってるつもりなのにもっと努力しろだから弱いんだと言われた結果、石ができたと思います。こんな風に言われてストレスを感じる環境なのはスポーツをする上で当たり前なのかも知れませんが、私はそれがしんどかったです。その結果が石ができる、石が詰まることに繋がったと思います。なんか腹が痛い、なんか脇腹から背中にかけて痛いって時がよくあったのですが、今となっては石が原因だったのではと思っています。(病院に行かない時があったので石が詰まってるかは分かりません。エコーやレントゲンとらないと)
そして大学一年生の時に約半年にわたり入退院をするはめになった石が詰まる要因の病気は「腎盂尿管移行部狭窄症」です。腎臓から(厳密に言えば腎盂)膀胱の間にある尿管が細い病気です。私の場合は尿管の上に太い動脈によって圧迫され細くなってたそうです。処置題一段階は、「尿管ステント」を入れたことです。尿管が細く尿が流れにくいもしくは流れない時に、尿管に人工的な管を通して流れるようにしました。体内に異物を入れるので違和感が常にありますし、尿意と管が体内で擦れるので血尿がたまに出てましたね。今思えばバカだと思いますが、ステント入れながら走ると、すぐに尿意が来てトイレ行くと血尿が出ていたのは良い思い出です。24時間開いてるコンビニはトイレスポットでした。
第二処置が、腰に穴を空けて管を通し腎臓から直接尿を体外に出す事をしました。これがまぁー大変で不自由でした。凄く。写真はお見せできませんが、凄い大変でした。
こんな感じで入院しては手術をして退院ってのを約半年続けた結果、完治することはできました。(といっても細くなった尿管を切って、細くなってた原因の動脈をずらしただけですが)
ただ、こう繰り返していくうちに燃え付き症候群になっていました。身体も小さいから人よりも練習をしよう、日本一をもう一度目指そう、そんな覚悟と行動を繰り返した結果、病気になるぐらいならやらない方がましだと思うようになってしまいました。そこからと言うもの、人よりも多く練習をする自主トレをやめ、やる気の無い日は練習を休み、ランニングの日は公園で寝てたりもしてました。まぁ完全にやる気を失ってたましたね。大学一年生の入学直後に発症してから約2年スゲー適当に練習をしてたと今振り返って思います。その後も終わったからこそ言えますが、なかなか適当に練習をしてた大学生だった気がします。(中学や高校と比べてですが、、)
長くなっているので何が言いたいかと言うと、身体にムチ打ってまでスポーツはしなくても良いと思います。腰が痛いだの、ちょっと熱ぽいだの、練習続きで疲れてるだの言うのであれば、休めば良いと今の私は思っています。皆が練習してるから、勝ちたいから、、、と無理して続けたしっぺ返しとして半年の入退院と2年間の燃え付き症候群になったからこそ、数日休むのは全然かまわないと思います。頑張りすぎた自分にストップをかける時間と思えばいいです。
そんなこんなで今の私は病気を乗り越え、元気なのでこれからは気楽に過ごしたいなーと思います!
レクの時の写真です。画角からはみ出ている人いますが、良しとしましょう。
「尾島君と愉快な同期たち」
まず始めにお詫び申し上げます。すみませんでした。いろいろこもってますが、「尾島」じゃなくて「尾嶋」なのを最近気付かされました。すみませんでした。あと、タイトルはあえて間違えてます。広報をやっていると誤字って思っている以上に多いことに気がつきました。まぁしっかり校閲しろ、ってだけですが。
まぁそんな「おじま君」ですが、このコロナ禍の自粛期間も含めて一緒に練習をし、私の選手として最後のレースに乗ってくれたよき相方です。ですが「おじま君」にとって大切な今年のレースを、基本的にサボり愚せの付いてる私と乗り負けてしまったのは本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。勝ちに餓えてる「おじま君」の足を引っ張ってしまったのは大学生活における私の数少ない後悔となりました。
ただ、そんな「尾嶋君」に言いたいことがあります。それは「ありがとう」です。一緒に乗ってくれて、一緒に練習をしてくれて、たまに話し相手になってくれてありがとう! 君と最後のレースにでれたことは私にとっては後悔ではありません。最高の最後のレースは「やりきる」事ができました。本当にありがとう!
左が尾嶋君。右がコミさん。
次にですが同期についてです。「愉快な」「個性豊かな」とありきたりな表現になってしまうのですが、そんな同期の集まりです。一人一人に想いがあるので言いたいですが、恥ずかしいし13人も(私含め)いるのでやめておきます。
私達同期の仲の良さは、言い意味での腐れ縁な関係ではないでしょうか。切っても切れない良き関係です。恩師が言ってた大学生ってのが分かりました。飲み会こそあまり参加してませんでしたが、こんな私と仲良くしてくれて本当に良かったです。本音で語り合ったり、苦しい時に支え合って、自由気ままに過ごした同期との思い出はこれから忘れることは無いでしょう。
大学で知った同期もいれば中学からの同期もいます。今さら感が凄いですが中学の時からもっと喋っておけばと後悔してます。中学からの私の同期といえば、大輪さんとまなきさんです。大輪さんとは中学で何度もレースで競いあった仲で、あの時は勝ってたのに…って今ちょっとだけ思っています。まなきさんは、私の記憶が確かなら中学の時琵琶湖であった大会で話しかけてくれた気がします。間違ってたらすみません。当時の写真探しましたが、載せるはやめときましょう。中学選抜の時の写真ですがめちゃくちゃ若かったです。
それからいろいろあって大学生、こんなにも沢山の同期に恵まれ、独りだったらとっくの前にボート部を辞めてたでしょう。最後のレース後のみんなの一言でむちゃくちゃ泣けました。キャプテンの言葉も中学からの同期も、これからもボートを続けるやつも、酒で乗り越えれた子も、いろんな4年間があったんだと思い凄い感化されました。あっという間の4年間、この同期で良かったし楽しかったです。本当にありがとう! 卒業しても集まりましょう。
飲み会の時の数少ない写真です。ぶれてるのは酔ってるからでしょう。私は全く飲めませんがいるだけで楽しい。
「13年前の君へ」
13年前の君へ、ボートを始める前の君に伝えたいことがあります。
自信を持ってバカみたいに楽しみなさい。君の歩む道は苦労も多いが、沢山の人に恵まれ一人じゃできない経験ができるから。
人一倍頑張るのも良いが、時には逃げる事も考えなさい。バカみたいに練習して怪我や病気になってしまうから休むことも選択肢に入れなさい。他にも、自暴自棄になって人にキツく当たってしまったり、ストレスを溜め込んで溜め込んで人に迷惑をかけるような家出もしてしまうから。
人と仲良くする努力をしなさい。昔からコミュ症全開なのは分かってるが、沢山の人と繋がれるようしておきなさい。あの時あの場所で声をかけてればと後悔するから。
一人じゃ何も出来ないことを自覚しなさい。基本的に君はバカなんだから行動する前に、相談するか一緒にしなさい。良い仲間が側にいるから。
言葉には気を付けなさい。言葉は人を感動させることも出来るが、傷付ける事もある。君は何も考えないで言うだろう。その言葉は正しいのかよくよく考えて時には思っとくだけにしなさい。
先輩だから、部をより良くしたいからなんて思わなくていいから。一人で抱え込まなくていいから。後輩に対して、あれせえこれせえ何て言うのはただのありがた迷惑だから。次の代の活動は精一杯頑張ってるんだから暖かく見守りなさい。
人生は一度きり、がっついて生きなさい。今その時にしか味わうことができない経験があるから。自分で自分を遇われんでいたら成長できんから。心配しなくていいから、どうせ苦しむなら心配するだけ損。
青春を謳歌しなさい。勉強をすることも、友と遊ぶ事も、恋愛も楽しみなさい。ボートだけが人生ではない。いろんな楽しみがあるから。
最後は、人に感謝をしなさい。いろんな場所でいろんな出会いがあるから。苦楽を共に過ごす仲間も、暑苦しい指導者も、レースで競うライバルも、応援してくれる人にもしっかり感謝しなさい。特に家族にはありがとうと伝えなさい。恥ずかしいかもしれないが、いろんな人がいたからこそボートをこうして続ける事ができた13年後の私からのアドバイスです。
同期と一個下の後輩との写真です。レース後の写真で若干名泣いてるね。もちろん私もです。
「運とwhat if」
私は運がめちゃくちゃ良いと思っています。ボート競技をこうも長く続けていると、いろんな選択を迫られ決断してきました。あの時あの選択にしとけば、も思うことはありますがまわり回って今ボートを続ける事が出来ているので私は運が良いです。
私が「もしも」ボートと出会わなければ、勉強もスポーツもできない不登校の問題児になっていたでしょう。
私が「もしも」全中が終わったあと、泣きながら辞めたいと言ったのが承諾されてたらボートの楽しみを知らず恩師や仲間に出会う事はなかったでしょう。
私が「もしも」高校選抜で優勝することが出来なければ、某大学でCOXとして別の道を歩んでいたでしょう。
私が「もしも」日本体育大学以外の道を選んでいたら、4年間の大学ボートを続ける事が出来なかったでしょう。
いろんな「もしも」があり、いろんな分岐点があったので、違う道を歩んだ自分の人生を考えたりしますが、結局のところ、たまたま今もかろうじてボートを楽しみながら続ける事ができたので運が良いと思います。たまたまの連続で私は大学生までこれました。正直な話、そんなに頑張った覚えは無いです。RPGとかのゲームで例えるなら、ボート競技を続けて「運」だけにステータスを割り振ったキャラみたいな感じです。なので、私からボートを取ると「バカが残る」と言われたとき、まさしくそうだ!と思いました。ただ道に迷ったときの「右か左か」の二択の選択は外す確率が高いので、ボート以外の運は低いようです。
人生とは分岐点の連続である。大学では「漕手」でいくのか「COX」でいくのか。高校でもボートを「続ける」のか「続けない」のか。そもそもボート競技と「出会えた」のか「出会えなかった」のか。そういった分岐点で、どの選択肢を選ぶのか。それで人の人生というのは、決定していくと思います。
私は「ボート」という競技をする選択肢をたまたま選び続けて今までも、そしてこれからもボートと関わるでしょう。ボート競技を通して「勝つことも」「負けることも」「努力をすることも」「サボることも」「いい人に出会えたことも」「泣きたい日も笑いたい日も」「考え悩み道を歩むことも」、することができました。22歳で13年しかボートをしてない人間ですが、ボートを通してこんなにも経験させて頂いた私は「運が良い」です。
1.ここで終わりにしようか
2.まだ書こうか
またもや選択肢ですが、「運とwhat if」を伝えれたので1を選びましょう。
ちょっと真面目な集合写真。いいね!
「Will return」
やっと最後の章かと思いますが、書いてる本人がここまで長く書くとは、、、と思っています。約一か月、あーでもないこーでもないと悩みながら文を書きました。前半で言った、そっと胸にしまっておきます、宣言はどこ行ったってぐらい長いですね。誰が読むのでしょうか。加えて、気付いている方もいるかも知れませんが、マーベル映画のセリフや用語を多用してここまで文を書いてます。特に意味はないですが、ちょっとカッコいいから位の勢いです。ということで、Will return 「帰ってくる」の始まりです。
コミさん最後のブログとして長くなったのでまとめますが、たまたま配られたチラシから私のボート人生が始まって運よくここまで続けることができました。悔しいことや嫌なことがあっても、辞められない辞めたくない事が本当に好きなことなんだなと分かりました。それが私にとってボートです。
勝ちにこだわりすぎたり、人間関係がうまくいかなかったりして自暴自棄になったり病気になりましたが、勝つ経験や沢山の出会いに恵まれました。一人じゃここまで続けることはできなかったし、ここまで楽しめることはできませんでした。
私がとった言動で今更ですが後悔があり、過去の自分に伝えたいことが沢山ありますが、結局のところ当時取った言動はその時は「正しい」と思って選んだので、回りまわっていろいろありましたが、今の自分が形成されボートをしています。
勝って終わりたい、笑って終わりたい。その方がいいけど大学生で思ったことは、そんなことはどうでもいいと思う。ただ、今日も明日も全力で楽しみ注意深く手を尽くし運よく「いつ終わってもいい」と思って闘って来ました。一人じゃできないボート競技。最後のレースを尾嶋君と乗れて良かったです。
変わり者を受け入れてくれた同期には感謝しかありません。最高の同期です。人の数だけ個性がある。クセの強い学年でしたが、私がボートを辞めずに続けれたのは同期のおかげです。これからの旅路はバラバラの道に歩むけど、時には集まって「あの時は、、、」と語り合いたいものです。
物事には始まりがあれば必ず終わりが訪れます。長くもありあっという間の13年間。私のボート選手としての人生は終わりを迎えました。我が道を行く私なので迷惑や人傷つける事が多々ありましたが、多少は誰かを感動させることはできたのではと思います。これからうまくいかなくても道は続くし、それが全てではないとボートを通して学びました。積み重ねてきた今までは無駄では無いし、今までの過程があったからこそこれからを頑張ることができそうです。13年という過程の中で得た、最高の出来事はこれから先の人生という長く続く未来を支えてくれると思っています。
もちろん、14年目の新しいフェーズは選手ではない形でボートに帰ってきます。そして、ボート人生14年目の春は「私達の旅路に桜が笑う」良き未来が来ることを願ってこの最後のブログを終えたいと思います。
本当に沢山の方々、ありがとうございました!!!!!!